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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9188号 判決 1979年5月29日

本訴原告・反訴被告(以下、「原告」という。)

桑原繁弘

右訴訟代理人

高野長幸

右訴訟復代理人

和田邦康

本訴被告・反訴原告(以下、「被告」という。)

平山信子

右訴訟代理人

丸井英弘

伊藤まゆ

主文

一  被告は原告に対し、読売新聞朝刊全国版の下段広告欄に二段抜きで別紙記載の謝罪広告を、見出し、宛名および被告の氏名は四号活字をもつて、その他は五号活字をもつて一回掲載せよ。

二  被告は原告に対し、金一〇〇万円およびこれに対する昭和五〇年一一月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求および被告の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は本訴反訴を通じこれを五分し、その四を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本訴について

1  原告が昭和三七年一二月二四日から住所地で医院を開業する医師、医学博士であり、新宿区医師会理事、同区公害健康被害認定審査委員(ただし、昭和五〇年一〇月一八日まで)であつたこと、被告が、昭和五〇年一〇月頃、読売新聞東京本社記者に対し、原告が主張するのと同様なことを述べたこと、同新聞の同年同月一七日の朝刊三面全国版に原告の主張するとおりの記事が掲載されたこと、被告が、同年同月二〇日、フジテレビ局の「三時のあなた」という番組に出演し、同番組において右記者に述べたと同様のことを述べ、原告が主張するとおりの報道がされたこと、被告が、同年同月二八日午前九時三〇分からの日本テレビ局の「ワイドシヨウ」という番組に出演し、同番組において右記者に述べたのと同様のことを述べると共に原告の主張するとおりのことを述べたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

被告は、読売新聞の右記事掲載は、同新聞記者の独自の取材活動に基づくものであつて、被告とは無関係であるかの如き主張をするのであるが、被告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和五〇年五月頃から中ピ連の榎美沙子に後記認定の原告との愛人関係についての相談をしていたが、同年八月二八日頃、同女に原告が被告を診断もしないで慢性気管支炎の診断書を作成した等のことを述べたことから、同女がこのことを読売新聞の久保潔記者に話し、同記者が、同年一〇月中旬頃、被告から直接その間の事情を聴取したが、その際、被告が同記者に原告とのこれまでの愛人関係のこととか前記認定したこと等を述べたことを認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はないから、右読売新聞に掲載された記事は、被告が右記者にその情報を提供したことによるものであるということができ、したがつて、被告の右主張は理由がない。

次に、被告は、フジテレビ局と日本テレビ局にそれぞれ出演して前記のようなことを述べたことに関し、右各テレビ局がすべて御膳立をしており、それに従わざるをえなかつたかの如く主張し、被告本人尋問の結果中にもこれに副う部分があるけれども、被告の年令、社会経験等から考えて右供述部分はにわかに信用できない。かえつて、被告本人尋問の結果によれば、被告は、被告自身の認識・判断に従つて前記のようなことを述べたことを認めることができるのであつて、被告の右主張は理由がない。

2  そこで、被告が、読売新聞東京本社記者に述べたことと、フジテレビ局および日本テレビでそれぞれ述べたことの真実性について検討する。

(一)  先ず、原告が被告を診断もしないで慢性気管支炎の診断書を作成した、との点について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(1) 原告は、昭和四八年三月一五日、被告が悪心、嘔吐を訴えて診察を求めてきたので、被告の症状から被告の疾病を急性胃炎、慢性胃炎と診断し、その治療をした(ただし、被告が同日悪心、嘔吐を訴え原告の診療を受けたことは当事者間に争いがない。)。

(2) 原告は、右以降昭和四九年一〇月二日までほぼ一週間に一、二回の割合で被告を診療し(ただし、原告が昭和四八年三月一五日以降被告の診療をしていたことは当事者間に争いがない。)、その間、肝機能検査、尿蛋白検査等を実施したが、特に異常とすべき検査結果は現われなかつたので、被告の疾病を心因性による胃炎と診断し、主に急性胃炎の治療をしていた。なお、原告は、昭和四八年七月六日に被告の疾病として気管支炎の疑いを持つたが、治療を必要とするまでもないと判断して何ら処置もせず、また、同年九月四日に被告に咳、痰の症状のあることを認めたが、これは被告が多量の喫煙をすることが原因であると判断し、その点の疾病についての疑問をいだかなかつた。原告の被告に対する定期診療は、昭和四九年一一月以降行なわれなくなつたが、これは、後記認定のとおり、原告が被告との愛人関係を解消したいという気持もあつたことによるものである。しかし、原告は、後記認定のとおり、被告が病弱なこともあつて昭和五〇年六月までの間一ケ月に一回位の割合で被告宅を訪問し、被告の健康状態を観察し、被告に生活費を渡すほか栄養剤等を与えていた。

(3) 新宿区では、昭和四九年一一月三〇日、公害健康被害補償法および同法施行令により、全域大気汚染が原因とみられる慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎、肺気腫の四つの疾病について、同区公害健康被害認定審査会の審査等所定の手続を経て公害病の認定を受けた患者に対し補償金が支給されることとなつた。右公害健康被害認定審査会は、一五人の委員によつて構成されており、原告も当時右委員の一人であつたが、原告の意見によつてその結論が左右されるものではなく、医師の診断書のほかに医学的検査等の客観的な資料に基づき公正な審査のうえ右の公害病か否かの認定をする仕組となつている。

(4) ところで、被告は、昭和五〇年六月下旬頃、当時新宿区医師会副会長で公害病関係の担当をしていた医師春山広輝に電話をし、被告が慢性気管支炎に罹患し重症で働くこともできないこと、毎日咳も痰もひどくて便所に行くことも歩くことも大変であること、新宿区の公報だつたと思うが、新宿区が公害病の指定地域になり、公害病の認定患者になると医療費も無料になり補償金も支給されるということを知つたこと等を述べると共に、診察を受けていた原告に公害病認定の申請をするために診断書を書いてくれるよう要求したが、原告から医師会でその診断書を書くことを中止されているので書けないといわれたが、何故医師会でその診断書を書くことを中止しているのか等と激しい剣幕で約一時間に亙り苦情を述べた。なお、新宿区医師会としては、当時事務手続上の問題があつて東京医師会の指導により右のような診断書を作成することを中止している時期であつた。

(5) 原告は、同年六月下旬頃、被告から公害病認定を受けるのに必要であるといわれて診断書を作成するよう要請を受けていたので、本件で問題となつている原告が慢性気管支炎であるとの同年七月一日付の診断書を作成し、同年六月三〇日、被告に該診断書を郵便で送付した。

(6) 被告は、同年七月三日、新宿区に右診断書を添えて公害病認定の申請をした。そこで、同区公害健康被害認定審査会は、東京女子医科大学病院に被告の医学検査を委託し、同病院は、同年一〇月一一日、右委託に基づき被告の健康状態を診察し、肺機能検査を実施したところ、被告が慢性気管支炎およびその続発性に罹患しているとの診断を下し、この診断結果を「医学的検査結果報告書」として右審査会に提出した。なお、右肺機能検査のうち、肺活量については被告の意識的作為の介入する余地があるが、その他の検査については被告の作為の介在する余地がほとんどなかつた。

ところで、被告は、右検査実施に際し、検査員に対し、昭和四〇年頃から咳とねばねばした糸を引くような黒つぽい痰が二冬連続して出ること、痰が三ケ月も続いていること、同年頃から平担な道を歩いても息切れがして立ち止まることもあり、着物の着脱にも息切れがすること、息をするときゼーゼーヒユーヒユーといつた音がほとんど毎日すること、同年頃から急に呼吸が苦しくなるようなことがあること、最近の健康状態は毎年冬から四月初旬までほとんど寝たきりであり、昭和五〇年の春には寝ていても苦しく、咳、痰がひどくて外出もできず、便所にも歩いて行くことができないほどであつたこと、同年六月にやや軽快し、同年九月末頃から呼吸困難が強く、話をしていても息苦しく、昨日まで寝ていたこと、現在原告方に週一、二回通院治療中であること等を述べた。

そこで、右審査会は、右報告書に基づき被告の健康状態について検討した結果、被告が公害病に罹患しているものと判断し、その等級を定める必要上再度右医科大学病院に被告の血液検査、心電図検査、動脈血検査を委託した。

(7) なお、被告は、その間の同年一〇月一四日、独自で東京医科大学病院医師野原義次の診察を受け、同医師に診断書の作成依頼をした。同診断書には、被告の病名として神経循環疲労症兼末梢循環障害および軽度白血球増多症との記載があり、被告が前記公害病に罹患していることを窺わせる病名の記載はない。しかし、同医師がいかなる検査方法を実施して被告の疾病を右のように診断したかの点については本件全証拠によるも明らかではない。

(8) ところが、被告は、同年一〇月二七日、前記公害病認定申請を突如取り下げてしまつた。

(9) なお、被告は、同年五月二三日から同年八月まで東京医科大学病院で診察治療を受けたが、同病院は、被告の疾病につき同年五月には気管支炎、末梢神経炎、同月六月と七月にはいずれも気管支炎、動脈硬化症兼末梢循環障害、同年八月には慢性気管支炎、腎機能障害、動脈硬化症、末梢循環障害と診断してその治療をしている。原告は、同年五月頃、被告から被告が右病院で気管支炎等の治療を受けていると聞かされていた。

(10) 新宿区は、原告に関する前記認定の新聞報道がされた翌日の同年一〇月一八日、新宿保険所長森本忠良をして医療法二五条に基づき原告医院の立入調査をし、原告から事情聴取等をした。その結果、前記のように原告が作成した同年七月一日付診断書につき、被告が当時気管支炎症状を呈していたので虚偽であるということはできないと判断し、原告に対し何らの措置をもしないということとなつた。

以上の事実を認定することができ、<証拠判断略>。

右認定事実によると、原告が被告を定期的に診療したのは、昭和四八年三月一五日から昭和四九年一〇月二日までの間であつて、本件で問題となつている昭和五〇年七月一日付診断書を作成した当時必らずしも正式な診療をしていたということはできない。しかし、原告は、昭和四九年一一月以降昭和五〇年六月までの間一ケ月に一回位の割合で被告方を訪問し、被告の健康状態を医者としての立場からある程度把握していたものということができるのである。そして、被告は、昭和五〇年五月二三日から同年八月まで東京医科大学病院で気管支炎等の治療を受けていたのであり、原告は、同年五月頃、被告から右病院で気管支炎等の治療を受けていることを聞かされていたのである。以上の諸点から考えると、原告は、右診断書を作成するについて十分な診断に基づいたものではなかつたとの謗りは免れないとしても、医者としての立場から、当時の被告の健康状態を観察し、その判断に基づいて右診断書を作成したものと認めることができる。そうして、原告の作成した右診断書は、東京医科大学病院、東京女子医科大学病院の各診断結果等からみて被告の当時の健康状態を客観的に正当に評価したものであつたということができる。してみると、被告が読売新聞東京本社記者に対し、フジテレビ局および日本テレビ局の各番組において、原告が被告を診断もしないで慢性気管支炎の診断書を作成したと述べたことは、客観的事実に相違するものであつたということができる。

(二)  次に、原告が被告に「公害病認定委員になつたから慢性気管支炎の認定をしてやる」、「認定審査の医学的検査の際に肺活量測定で加減して吹く方法もある」と抜け道の不正を教え、「新宿区役所に公害病の認定申請をさせた」との点につき検討する。

被告本人尋問の結果中には、被告が昭和五〇年五月一九日、国鉄新宿駅西口付近の喫茶店で原告と会つた際、原告から公害病に認定してやるからそれを家賃に当てるなりして働いたらどうかといわれた旨の、また、同月三〇日以前に原告から電話で公害病の医学検査の肺活量測定の際加減して吹いて欲しいといわれた旨の各供述部分が存在する。ところで、原告が同年一〇月一八日まで同区公害健康被害認定審査委員であつたことは前記認定のとおりであるが、前記認定のとおり、右審査会は、一五人の委員によつて構成され、医師の診断書のほかに医学的検査に基づいて公害病に罹患しているか否かを判断する仕組になつており、右委員の一人である原告の意見によつてその結論が左右されるものではなく、また、右検査の際、肺活量測定については被告の意識的作為の介入する余地があるにしても、その他の肺機能検査については被告の作為の介入する余地がほとんどなく、さらに、これに続く医学的検査では被告の作為の介入ということは考えられないところである。さらに、被告も右本人尋問において右肺活量測定検査の際意識的に加減するようなことはしなかつた旨述べているのである。以上の事実に原告本人尋問の結果を総合するに、原告が被告に右のようなことを述べたとする被告の右供述部分は措信し難い。次に、前記同月一七日付読売新聞紙上には、原告が述べたこととして、認定の等級を重くするために肺活量測定の際加減して吹く方法もあるといつた旨の報道がなされているが、該報道は、右被告本人尋問の結果について述べたと同様の理由により真実性の点に疑問がある。また、後記同月三〇日付週刊ポスト誌上には、被告が同記者に述べたこととして、右被告本人尋問の結果と同趣旨の記載がなされているが、被告本人尋問の結果によれば、右週刊ポストの記事全体は興味本位に書かれているというのであり、仮りに被告が右記者に右のとおりのことを述べたとしても、これは右のように被告本人尋問の結果について述べたと同様の理由により真実性の点に疑問がある。その他に原告が被告に対し、「公害病認定委員になつたから慢性気管支炎の認定をしてやる」とか「認定審査の医学的検査の際に肺活量測定で加減して吹く方法もある」と抜け道の不正を教えたことを認めるに足りる証拠はない。

次に、原告本人尋問の結果によれば、原告が同年六月頃、被告に対し公害病認定の申請を勧めたことを認めることができるが、被告も、その頃、公害病に認定されることを積極的に希望しており、公害病認定申請も被告がその意思に基づいてなしたものであることは前記認定のとおりであるから、原告が被告に右申請をさせたとの点は、その持つ意味からみて必らずしも客観的事実に合致したものであつたということはできない。

(三)  次に、原告が被告に公害病の認定を得させ、その補償金をいわゆる手切金代わりに利用しようとした、との点について検討する。

被告本人尋問の結果中には、前項で述べたとおり右に副う供述部分が存するが、これは前項で述べたとおりにわかには措信することができない。また、前項で述べた週刊ポスト誌上にも、被告が述べたこととして、前項で述べたとおり右被告本人尋問の結果と同趣旨の記事が掲載されているが、これも真実性の点に疑問があることは前項で述べたとおりである。その他に、原告が被告に公害病の認定を得させ、その補償金をいわゆる手切金代わりに利用しようとしたことを認めるに足りる証拠はない。

(四)  次に、原告が被告を誤診し、被告の身体と生活が滅茶苦茶にされた、との点について検討する。

被告が述べた右の言葉の趣旨は明確を欠くが、一般に右言葉の持つ意味として、被告は原告の誤診によつて健康が著しく害され、そのため生活が破綻したとの趣旨に解することができ、<証拠>中にも右に副うかの如き部分がある。しかし、原告の被告に対する診療行為の内容は前記認定したとおりであつて、原告が被告の主張するが如き誤診をしたことを認めるに足りる証拠のないことは後記のとおりであり、<証拠判断略>。

3  そこで、被告が原告に関して前記の如き言動をした意図について検討する。

原告と被告との愛人関係の経緯については後記認定のとおりであるが、右認定事実によると、被告が原告に関して右の如き言動をしたのは、原告と被告との愛人関係が完全に破綻し、被告の原告に対する執拗なまでの生活費等の要求も絶望的となり、被告の原告に対する婚姻外関係解消申立事件における慰謝料五〇〇万円の要求も原告の反論があつて満足されそうにない時期であつた。そして、被告が前記のようなことを報道機関に述べれば、重大な社会問題となり、場合によつては原告の名誉・信用が著しく毀損されることは何人といえども容易に予想しうるところであつて、被告は、前記の如く一部分は客観的事実と相違する点があるにもかかわらず敢て右の如き言動をとつたものである。また、被告は、同年六月当時公害病に認定されることを積極的に望んでいたのであり、同年七月三日新宿区に公害病の認定申請をし、同年一〇月一一日東京女子医科大学病院で肺機能検査を受け、ほぼ公害病に認定される可能性があつたのに、同月二七日右申請を取り下げたのである。被告は、本人尋問において、右申請の取下は、同年八月二八日中ピ連の榎美沙子に公害病に関し相談したところ、同女から原告作成の前記同年七月一日付診断書には疑問であるといわれ、さらに、同年一〇月中旬頃、前記読売新聞久保潔記者から被告が公害病に該当するというのは疑問であるといわれたので、同月一四日東京医科大学病院で確認のため診察を受けたところ、慢性気管支炎との診断がなされなかつたからである旨供述しているのであるが、前記認定した被告の当時の健康状態、右に述べたとおり被告が公害病に認定されることを積極的に望んでいたこと、また、前記のとおり東京医科大学病院の右診断が被告の当時の健康状態を客観的に評価していることについては疑問があること等の点に照らせば、被告が右申請を取り下げたことについて述べていることはにわかには首肯することができない。そうして、以上の諸点から考えるに、被告が右の如き言動に出たのは、原告から愛人関係を一方的に解消され、その要求する生活費等の面倒をみてもらうことができなくなつたので、これに対する報復的意図の下になされたものと推認しうるところである。してみると、被告は原告に対し、右によつて原告の蒙つた後記損害を賠償する責任があるというべきである。

4  そこで、原告の蒙つた損害について検討する。

原告本人尋問の結果によると、原告は、先に認定したとおり、昭和三七年一二月二四日から住所地で医院を開業する医師で医学博士であるところ、本件読売新聞の報道、被告のフジテレビ局と日本テレビ局とにおける言動とにより、著しく名誉・信用を毀損され、そのために患者数は激減し収入も減少したばかりでなく健康をも害したこと、そして、このように女性問題で世間を騒がせたことに道義的責任を感じ、昭和五〇年一〇月一八日付で新宿区公害健康被害認定審査委員を辞任し、その頃、同区医師会理事、同区国民健康保険運営委員、イエローカードドクター等の各委員を辞任し、原告が財を投じて設立した特別養護老人ホーム仁生園の理事をも昭和五一年一〇月の任期満了と同時に辞任した、以上の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の諸点および前記認定の原告の被告に対する診療行為の内容、本件問題の診断書作成の経緯、後記認定の原告と被告との愛人関係の経緯等を総合考慮すれば、原告の名誉を回復する措置としては、全国的規模を有する一般向けの日刊新聞一紙の広告欄に別紙のとおりの謝罪広告を一回掲載すれば十分であり、その紙面の大きさ、活字の大きさは原告の請求するところが相当と考える。してみれば、朝日・読売・毎日のいわゆる三大紙の一つである読売新聞の朝刊全国版の下段広告欄に右の謝罪広告を一回掲載すべきことを命ずることが相当である。

次に、慰謝料の点について検討するに、右に述べた一切の事情と右謝罪広告の掲載を命じたことを勘案すれば、原告の蒙つた精神的苦痛を慰謝するためには、一〇〇万円が相当である。

二反訴について

1  先ず、原告が被告との間の愛人関係を一方的に破棄した、との点について検討する。

(一)  原告および被告本人尋問の結果(ただし、被告本人尋問の結果中後記信用しない部分を除く。)を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(1) 原告は、昭和三七年一二月二四日から住所地で医院を開業している昭和三年九月二四日生れの医師で、妻と子供三人を有し、一方、被告は、大正一二年三月生れのタイピストとして生計を立てている独身女性である。

(2) 被告は、先に認定したとおり、昭和四八年三月一五日以降原告方へ通院し、その診療を受けていたのであるが、同年一二月二六日原告を夕食に誘つた。原告は、被告がそれまでの間に原告の経営していた特別養護老人ホーム仁生園に一〇万円を寄付してくれたこと等のこともあつたので、被告に誘われるまま夕食を共にしたのであるが、夕食後三、四軒飲食店に立ち寄り、その後ホテルで肉体関係を結ぶに至り、以後いわゆる愛人関係(情交関係)となつた(ただし、原告と被告とが右年月日以降愛人関係となつたことは当事者間に争いがない。)。なお、原告は、当時妻子との間で円満な家庭生活を営んでいたものであり、被告は、原告に妻のあることを知りながら右のように情交関係を結んだものであつた。

(3) 原告と被告とは、その後情交関係を継続し、原告は被告に生活費として一ケ月約一〇万円を渡していた(ただし、原告が被告に金員を渡していたことは当事者間に争いがない。)。

(4) 被告は、昭和四九年六月六日、被告の希望によりこれまで住んでいた一ケ月一万一〇〇〇円の家賃のアパートから一ケ月四万円の家賃のアパートに引越した(ただし、被告が引越したことは当事者間に争いがない。)のであるが、原告は、右引越費用として三五万円を被告に渡した(ただし、この点は当事者間に争いがない。)。

(5) 原告は、被告が右引越をしてから間もなく被告方にほとんど立ち寄らなくなつたが、生活費として、被告から要求されることの方が多かつたが、同年七月から同年一一月まで毎月約一五万円、同年一二月には一〇万円を渡した(ただし、原告が被告に右の間右の金員を渡したことは当事者間に争いがない。)。なお、被告は、同年一〇月二九日から同年一二月一四日まで原告の紹介により東京医科大学病院に腎臓結石で入院し開腹手術を受けた(ただし、被告が右の間右病院に右疾病で入院し開腹手術を受けたことは当事者間に争いがない。)のであるが、原告は、その間被告を二回見舞い、右入院費用として三〇万円を渡した。

(6) 原告と被告とは右のように愛人関係を継続してきたが、その間被告の健康状態は優れず、ほとんど毎日病人同様であつた。そして、原告と被告との性的交渉も同年五月頃まで継続したが、その後はなく、原告は被告に対する愛情をほとんど失ないかけていたのであるが、徐々に被告が我儘で嫉妬心が強く異常な性格の持主であるというように感じるようになり、また、妻子のある身でこのような交際を続けることを反省し、同年一二月三〇日、被告に対し、これまでの愛人関係を解消する旨を述べた(ただし、原告が右の日に被告にこれまでの愛人関係を解消する旨述べたことは当事者間に争いがない。)。しかし、被告は、これに強く反発し、今後共生活費等の面倒をみることを要求した。原告は、被告からこのような要求があつたことと被告が病弱なこともあつて、被告との愛人関係を全て解消することができず、被告に対する愛情を全く失なつてしまつたにもかかわらず、被告の要求するままに昭和五〇年一月から同年六月まで毎月一回位被告に生活費としてなにがしかの金員を渡していた。

(7) 被告は、同年八月二七日、東京家庭裁判所に婚姻外関係解消申立事件(同裁判所昭和五〇年家(イ)第四六一六号)の申立てをした。そうして、被告は、同年一〇月上旬の右調停の第一回期日において、原告に対し慰謝料として五〇〇万円の支払を要求したが、原告は、被告にこれまで多額の援助をしてきたことなどを主張して右要求を拒否し、第二回調停期日が同年一一月と指定されたが、その間に本件新聞報道がなされたため、右調停は事実上停止したままとなり、最終的に不調となつた。

以上の事実を認めることができ、<証拠判断略>。

(二)  被告は、原告が、昭和四八年一二月二六日、被告と前記認定の愛人関係となるに際し、被告に「以後一生面倒をみる、自分が死ぬときは伜に申し伝える」等と約束したとか、原告は、昭和四九年五月か六月頃、被告に対し、「二人の関係を継続するのに風呂のない部屋では不便なので、風呂付のところに引越すように、貴女の病気は私が責任をもつて治す、引越したら月二〇万円宛てあげるからそれで生活するように」といつた旨主張し、被告本人尋問の結果中や<証拠>の週刊ポストの記事中には右主張に副う部分があるけれども、これらはいずれも原告本人尋問の結果と対比してにわかには措信できないし、その他に被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 以上の認定事実によると、原告と被告との情交関係、愛人関係は、純粋な愛情の交流関係であつたとは認めることができず、不純な道徳的非難を受くべき関係であつたということができる。これを原告についてみれば、原告は、妻子があり、かつ、医師という社会的地位の高い者でありながら、診察治療に当たつていた女性患者との間で情交関係を結び愛人関係になつたというのであり、また、被告についてみても、被告は、原告に妻のあることを知りながら夕食に誘い原告と情交関係を結び、それ以降原告の愛人として生活していたというのであり、共に夫婦共同生活を支配する貞潔の倫理にもとる行為であつたといわなければならず、さらに被告は、原告の、妻に対する貞操義務違反に加担する違法な行為をしたのであつて、民法九〇条にいう公序良俗に反するものとの非難を免れない。したがつて、原告と被告とのこのような不倫な関係は早晩解消されるべきものであり、この解消に当たつては何ら正当な理由を必要とするものでないことは勿論のこと、前記認定の一切の事情を考慮しても、被告が原告に対しその損害の賠償を請求することは、結局自己に存する不法の原因により生じた損害の賠償を請求するに等しく、このような請求は、民法七〇八条本文の規定の類推適用により、法的保護に価しないというべきである。

よつて、被告のこの点に関する主張は理由がない。

2  次に、原告が被告を誤診した、との点につき検討する。

(一)  原告および被告各本人尋問の結果(ただし、被告本人尋問の結果中措信しない部分を除く。)を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(1) 原告の被告に対する診療の経緯は先に認定したとおりである(ただし、原告が被告に利尿剤、ビタミン剤、安定剤、胃腸薬の投与と催眠療法とを施したことは当事者間に争いがない。)が、被告は、昭和四九年一月から同年三月末にかけて最初は気管支炎のような症状を呈し、その後気管支肺炎のような症状を呈して高熱を発した(ただし、被告が右の間高熱を発したことは当事者間に争いがない。)のであるが、原告は、右の間殆んど毎日往診をして右症状に適した治療をし、被告の食事の面倒をみたりした。

(2) 被告は、同年六月二六日頃、突然高熱を発し、背部にかけて七顛八倒の激痛におそわれ、近所に住む医師松尾某の診察を受けたところ、腎盂炎との診断を受けた。原告は、被告が右のような激痛におそわれたことを知らなかつたが、翌日被告からの連絡でこれを知り、往診をした。

(3) 被告は、その後も微熱が続き左下腹部痛があつたので、同年七月一〇日頃、慶応病院で診察を受けたところ、同年八月末に腎臓結石と診断された。被告は、その頃自覚症状が激しかつたので早急に入院することを希望したが、同病院の都合でそれが容れられず、そこで、同年一〇月二九日、原告の紹介により東京医科大学病院に入院し開腹手術を受けた(ただし、被告が腎盂炎、腎臓結石に罹患したこと、被告が同年一〇月二九日から同年一二月一四日まで東京医科大学病院に入院し開腹手術を受けたことは当事者間に争いがない。)。

(4) なお、被告は、同年六月頃、新宿区民健康センター相互連合診断を受けているが、被告の疾病として腎臓結石、腎盂炎の診断はなされておらず、尿蛋白の検査も正常であつた。原告は、当時被告を診察した医師から右のことを聞いていた。

(5) なお、腎盂炎の症状は、突然高熱を発し、右ないし左の下腹部または背部が痛み、血尿を伴なうものであるが、その診断は、尿検査によつて容易になしうるものである。また、腎臓結石の症状は、発熱する場合とそうでない場合とがあり、石が移動するときに疝痛を伴なうものであるが、その診断は、造影剤を使用して腎盂撮影をしないと困難であり、この検査の際シヨツク死をする例があるので、開業医の間では右の検査を官公立病院か大学病院に依頼して回避する傾向にある。以上の事実を認めることができ、<証拠判断略>。

(二)  被告は、原告が昭和四八年三月一五日以降原告の疾病を胃炎と診断し、利尿剤、ビタミン剤、安定剤、胃腸薬の投与と催眠療法を施したことを非難するが、原告が被告の疾病を胃炎と診断したのは先に認定した診察結果によるものであつて、原告のこの診断に誤診があつたと認めるに足りる証拠はなく、また、原告の右処置に過失があつたことを認めるに足りる証拠もない。

次に、被告は、被告が昭和四九年一月中旬頃から同年三月末にかけて連日三八度近い発熱をした際、原告が、被告の右疾病を心因性によるものと診断し、被告に働くことを勧めた旨主張し、被告本人尋問の結果中には右主張に副う部分がある。

なるほど、被告が右の間高熱を発したこと、および、これに対する原告の処置内容は前記認定したとおりであり、原告本人尋問の結果によれば、原告が被告の疾病の原因を一面心因性によるものであると診断していたことを認めることができる。しかし、原告が被告の疾病の原因を単に心因性によるものとのみ診断していたのでないことは前記認定のとおりであつて、原告が右のように一面心因性によるものと診断したことに誤りがあつたことを認めるに足りる証拠はない。そうして、原告が被告に対し、右の間働くことを勧めたとの被告本人尋問の結果は、原告本人尋問の結果と対比して措信し難く、他にこの点に関する被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、被告は、被告が同年六月二六日頃、突然高熱を発し激痛におそわれた際、原告が特別な手当をしなかつた旨主張し、被告本人尋問の結果によれば、被告がその時原告に電話をしたところ、原告から下熱剤でも飲んでおけといわれたというのである。被告が右の日に右のような症状を呈したことは前記認定したとおりであるが、原告は、当日、被告の右の症状を知らず、翌日、被告から連絡を受けて始めてこれを知り、往診したことは前記認定したとおりである。したがつて、被告本人尋問の結果中、右供述部分は原告本人尋問の結果と対比してにわかには措信することができない。

次に、被告は、被告の発熱、左脇腹の激痛は、腎盂炎、腎臓結石によるものであつた旨主張し、被告本人尋問の結果によれば、被告が東京医科大学病院泌尿器科の鈴木教授の診察を受けた際同教授から同年一月中旬頃より同年三月末にかけての発熱が多分腎盂炎によるものであろうとの説明を受けたというのである。しかし、同教授がいかなる根拠で被告に右のような説明をしたかについては本件全証拠によるも明らかではない。もつとも、被告が同年六月二六日頃、医師松尾から腎盂炎との診断を受けたこと、腎盂炎の症状として発熱のあることは前記認定のとおりであるが、被告の右一月中旬頃からの発熱が同病によるものであつたことを認めるに足りる証拠はない。そうして、被告が同年八月末に慶応病院で腎臓結石と診断されたことは前記認定のとおりであるが、同病の症状と診断方法は前記認定のとおりであり、前記認定の事実から原告に慶応病院の右診察結果が出る以前に同病の診断をなすべきであつたと期待することは困難であつたというべきであり、その他に、この点に関し原告に被告主張の如き誤診のあつたことを認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり原告に被告が主張する如き医療上の過誤のあつたことを認めるに足りる証拠はないから、この点に関する被告の主張は理由がない。

3  次に、原告が昭和五〇年一〇月三〇日発行の週刊ポスト誌上に「被告が原告を誘惑した」、「被告は性格破綻者だ」との趣旨の記事を掲載させた、との点について検討する。

右週刊ポスト誌上に原告が述べたこととして、被告が右に主張する趣旨の記事が掲載されたことは当事者間に争いがない。

しかし、原告本人尋問の結果によると、原告が、同年一〇月中旬頃、右週刊ポストの記者に「男の口からいうのは嫌なんですが、最初に診察にきた頃から私を誘惑するような素振を見せたり、待合室に他の女性患者がいると露骨に嫌な顔をするんです。だから診察室に入れずに薬をあげるだけにしていたんですが、クリスマスの日に誘いを断わりきれず、何軒か梯子をして、したたかに酔つて、つい関係ができてしまつたんです。」と述べたところ、同誌上に、見出として「私はむしろ誘惑されたのだ」と記載されたこと、および、原告は、被告は性格異常者であるという趣旨のことを述べたが、「被告は性格破綻者だ」と述べたことはなかつたことを認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によると、同誌の「被告が原告を誘惑した」との趣旨の記事は原告の真意を伝えておらず、「被告は性格破綻者だ」との趣旨の記事は原告が述べていないことを記載したものであるということができる。

ところで、被告が右週刊ポストの記者に述べたことのうち、被告が性格異常者であるとの点は、仮にそれが真実であつたとしても、被告の名誉に関する事柄であり、それを毀損するものであることは否定しえない。しかし、原告が同誌の記者に右のようなことを述べたのは、原告本人尋問の結果によれば、前記認定のとおり、被告の前記言動により原告の名誉・信用が著しく毀損されている状態にあつたため、これに対する防衛上已むを得ず反論したものであることを認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はないのであるから、原告が同誌の記者に対し右のようなことを述べた点に多少問題があつたとしても違法性を阻却されるものというべきである。

したがつて、この点に関する被告の主張は理由がない。

4  被告は、原告の本訴提起は不当提訴である旨を主張するけれども、この主張の理由のないことは前述したところから明らかである。

したがつて、この点に関する被告の主張は理由がない。

5  以上述べたところから明らかなとおり、被告の原告に対する本件反訴は、その余の点についての判断を進めるまでもなくいずれも理由がないということができる。

三よつて、原告の本訴請求のうち、被告に対し、読売新聞朝刊全国版に主文第一項の謝罪広告の掲載を求める部分並びに慰謝料一〇〇万円およびこれに対する本件本訴状が被告に送達された日の翌日であること本件記録上明らかな昭和五〇年一一月八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余の請求および被告の反訴請求をいずれも失当として棄却することとし、訴訟発用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言については主文第二項についてのみその必要があるものと認め同法一九六条を適用してこれを付し、その余についてはこれを付すのを不相当と認めてこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(井田友吉 林豊 本田陽一)

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